はじめに→鍼灸師としてのあゆみ
よく鍼灸師になったきっかけを聞かれるのですが、一口にお答えしづらいので、「大学の卒業研究でテーマに取り組んだのがきっかけです。」とお答えしています。
まずは大変長い件になりますが、この大学の話を端折るわけにはいかず、まずはここから始めたいと思います。
1994年、私はお茶の水女子大学 生活科学部 生活環境学科 生活工学講座に入学しました。いつも履歴書に書く時に一行におさめるのに苦心します。
なぜそこを選んだかという高校時代の話になると、さらに長くなるので、詳しくは省いて、先に進みます。
さて、そもそも、生活科学部とは?ともよく聞かれるのですが、家政学部から移行した学部で、入学時には、3年生以上は家政学部、1、2年生は生活科学部という状況でした。
学部内には、食物、被服、児童などの区分けがあったのですが、その区分けも少し変わり、私が所属した生活工学講座は、被服と住居の理系的な部分の勉強をする感じでした。(私の能力では、うまくご説明できず申し訳ありません。)
高校時代は文系選択だったのですが、高校3年時にやはり工学部の建築学科に行きたかった…と思うようになりました。
ただ理転するのは、時間的に間に合わないし、浪人もしたくなく、二級建築士の受験資格が得られる家政学部住居学科を目指していました。
ただ理転するのは、時間的に間に合わないし、浪人もしたくなく、二級建築士の受験資格が得られる家政学部住居学科を目指していました。
結局、お茶の水女子大学の生活工学講座は二級建築士の受験資格は得られないのですが、縁あって入学しました。
しかしながら入学してみると、文系から入学したのは3人くらいで、ほとんどが理系出身者。
高校の理系レベルの微積分、化学、物理の知識をすっとばして、大学レベルを学ぶこととなり、全くついていけず、大変な落ちこぼれぶりでした。
夏休みに高校時代の友人に化学のノートをもらい、特訓してもらって、何とか基礎を理解したほどです。
完全に向学意欲を喪失し、モラトリアムな大学生活でした。
自分の能力のレベルとあまりに乖離した勉強をすると、意欲が著しく低下することを身を以て体感しました。
とにかく最低限の単位を取得し、何とか4年で卒業することだけを目標にしていました。
自分の能力のレベルとあまりに乖離した勉強をすると、意欲が著しく低下することを身を以て体感しました。
とにかく最低限の単位を取得し、何とか4年で卒業することだけを目標にしていました。
今、思えば教職もとっておけばよかったのですが、家事能力のない私が家庭科なんて絶対教えられない…と諦めていました。
幾度となく、追試を受け、何とか進級だけは果たし、4年生に。
4年時に取り組む卒業論文のための、研究室を振り分けるのですが、なかなか決まらず、拾ってもらったのが、感覚工学研究室でした。
本当は建築系の研究室を希望していたのですが、希望者が多く、一生懸命勉強してきたのに、してこなった人と同じ条件で、くじやジャンケンで決めたくないという方の声に、確かにそうだ…とスゴスゴ引っ込んだのが、私を含む成績下位3名。
どういう因果か、この3人共に、追々々々試という聞いたことのないほどの試練を与えてくださった一番苦戦した科目の教授の研究室に引き取っていただくことになりました。
この2人とは未だに定期的に集まる仲…。そして在学中はお姿をみるたびに怯えていた教授は、本当の教育者であり、恩師であり、未だにお世話になっています。
そこで、鍼灸と出会うのですが、長くなるので一旦区切ります。